おでん年代記
皆様こんにちは。そろそろ春も近づいて参りましたが、今回はおでんの話です。
特にインスタ映えもしない地味な食べ物ではありますが、おそらく食べたことがないという方はあまりいないと思いますので、記憶を辿る話題の一つとしてお話ししたいと思います。
私は現在東京在住ですが、これまでに各地の様々なおでんを食す機会に恵まれました。
小さい頃には家に銅製の四角いおでん鍋がありましたが、いつの間にか食卓に出なくなって密かに悲しんだものです。両親は東北出身で、おでんは練り物中心の濃口しょうゆ味でした。
1976年~:父親の転勤により、子供の頃7年間石川県に住んでいました。家の外へ出ると全く違う味付けがスタンダードであることに戸惑いを感じていましたが、とりわけ驚いたのは、あるお店のおでんの出汁が透明だったことでした。私はそのお店のじゃがいもが好きだったのですが、母親には物足りなかったのかそのうち連れて行ってもらえなくなりました。
1984年~:再度転勤で大阪へ移住後中学校に入り、友人の家の手作りおでんなどをいただくうちに、自分の好みに合うのはどうも薄味だということが分かってきました。
1990年~:大学へ進学し、お酒を飲むようになって友人とお店探しをするようになった頃、梅田の阪急東通りに東京発京風おでんのお店が進出しました。何やら迂回した進出ですが、味は無論のこと洗練された具の数々に、値段は高めにもかかわらずお店はよく満員になっていました。よく注文したのは九条ねぎが薄揚げの袋に詰まった「ねぎ袋」でした。
1996年~1998年:1年半ほど中国に留学していた際、冬に上海のローソンでおでんが売られているのを見ました。出汁が醤油真っ黒ピリ辛味になっており、若い男性が数人買っていきました。斬新だけどこれはこれでありではないか、と初の中華おでんを口にして思った記憶があります。